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忘れてはいけない事・「和夫一家殺害事件」 [大切なこと]

朝鮮人の本質を表している悲劇

「ねずさんのひとりごと」http://nezu621.blog7.fc2.com/より転載

2013-03-09 13:01に記事にしてますが、再掲します。

恨むならプラk&tochi恨むんだな。勘違いするなよ。(tochi~お前^^2017.2.22)

金完燮(キム・ワンソプ)さん(韓国の方です)
2002年に、韓国で出版された本で、邦題が「親日派のための弁明」という本があります。
著者は、金完燮(キム・ワンソプ)という人です。
この本は、韓国で有害図書の指定を受け事実上発禁処分となりました。

「和夫一家殺害事件」キム・ソンス君の証言より
日韓併合時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には、明らかに立派な人々も多かった。
普段から人情に厚かった和夫は、小作料を収穫全体の10分の1しかとらず、
村人達を家族のように考え、朝鮮総督府の法令で規定された
小作料の中から最低限しかとらなかった。
貧しい朝鮮の小作人が食べ物が無いと哀訴すると、喜んで食べ物を分け与え、
村で誰かが亡くなると、家族全員が駆けつけて食事の用意はもちろん、
自ら慟哭までして悲しみを分け合った。

和夫は近くに行き場のない孤児がいると、連れ帰って面倒を見ていたが
その数は一人、二人と増え、四、五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。

けれども、和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母を称した。
和夫の家族は、ふだん、このように朝鮮人を愛し、
日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。

しかし彼らは、日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日、
自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害された。

その日、和夫さんが実の子のように育て、東京帝国大学まで留学させていた朝鮮人Aを中心に、
和夫さんの家で教育を受け、成人するまで育ててもらった朝鮮人青年達が、
カマとツルハシ、シャベルをもって、和夫さんのもとに押しかけた。

当時、現場にいたキム・ソンス君は、この時の状況をこう語っている。

和夫(優しい目で)「何故こんなことを、お前たち。」
朝鮮人A「チョッパリ!日本へ失せろ!失せろってんだ!!」

*チョッパリとは日本人の蔑称 半チョッパリとは在日朝鮮人を,片方の親が日本人の場合も指します。

次回に続きます。(転載です)

忘れずに

「ヨーコの話」http://ime.nu/create21.iza.ne.jp/blog/entry/2657227/ より一部転載
この本の内容は、大東亜戦争末期、朝鮮半島からの引き揚げ時、
当時11才であったヨーコさんと家族が目撃した史実が書かれています。
韓国人らに追い回されて命からがら日本へ逃げ、
韓国を抜けだす過程で日本人が韓国人に強姦され、
暴力により日本人の人々が死んで行った目撃談です。
35000人が朝鮮人により虐殺されたそうです
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